丸石神三大疑問

民間信仰中の石神信仰や、丸石神の基本編。

  1. 誕生 - 丸さの秘密 -
  2. 信仰 - 他に見られない謎 -
  3. 分布 - ご地域限定の神 -

2.信仰 - 他に見られない謎 -

丸石写真

丸石神は、山梨やその他の一部地域など、ごく限られた土地にしか見られない。その土地の人々は、何故丸石を信仰したのか。丸石信仰とは、一体なんなのだろうか。

中沢厚によると、丸石が始めて取りあげられたのが、山中共古著「甲斐の落葉」である。『かってに増丸石を拾い来りて道祖神となすに、石数増えると道祖神さんがボコを持たれたという。』との記述が見られる。「ボコ」とは子供の事で、石が子供を産むと言う伝説は、各地でみられるポピュラーなものだ。

また、昭和十六年発行の武田久吉著「道祖神」において、武田はその書中で、丸石を「原始的信仰対象物」として定義している。その後「民間伝承」ニ八〇号で「丸石の信仰」という論文を発表している。
武田は丸石を甲州独特の文化であると説明し、「天然に産出した丸石がいかにも珍らしいことから是に神性があると考えて、何かの神に祀ろうとする心持のある一方、道祖神の神体がどんな形であるのかあまりはっきりしないために、丸石を似て当てることになったのではあるまいか」と仮説を立てている。

同じく形からの見解では、他に「図説甲斐の道祖神」で中島正行編者が、円い象形からは円満である事が連想され、円がいつの世も神の象徴とされてきた事実を述べている。また伊藤堅吉著「性の石神」は、甲州において男性器は棒形の彫像、女性器は円石に象徴されたという説を記している。

さて、丸石神を考えた時、当然のことながら「石信仰」という大きなカテゴリーも視野に入れなければならない。自然崇拝を原点に、魂と玉、そして玉石が崇められるようになったのが「石信仰」である。

石信仰の流れから考えると、丸石神は神(タマ)の依り代として、もしくは神(タマ)そのものとして祀られた自然崇拝の一つと考えるのが自然だ。石仏等、何らかの形を模した物でない事は、その形からして一目瞭然である。
中には、男女一対像や石棒、祠等と一緒に祀られている物もあるが、あえて丸石と他の物を共に祀っている事を考えると、丸石は丸石、他の物は他の物として区分して認識されていた証明になるのではないだろうか。(分類の“追加型”“ご一緒型”参照)

大護八郎は魂と玉の関係を踏まえ、真珠書院発行「道祖神」にて、魂宿る石の最もたるものとして、玉形の石が尊ばれたと説く。木耳社発行「石神信仰」でも、「雑多な形の石よりも見た目に立派であるという嗜好の問題でなく、その根本には玉と魂との関係があるように思われる」との見解を述べている。

丸石写真

しかし中沢厚は、玉は古代から勾玉、管玉の類いで高貴な物として尊ばれ、路傍の丸石とは一線を画するものだと主張し、著書「丸石神」の中で、「丸石の概念の上で魂ごもる石だと解釈するのは自由ですが、丸石神の丸石がタマまたはギョクど同一視されるいわれはありません。それは、庶民信仰の現実とも、丸石を神に祀った原始の人々の感性にもそぐわないのです」「庶民信仰には高尚過ぎて不似合い」だと記述している。

また、山梨・長野一部のみに丸石神が集中している事を考えると、同じく自然崇拝を原点とする民間信仰の一つであるならば、何故余所では丸石信仰が見られないのか、山梨周辺にのみ残り得た、何らかの信仰理由があったからではないのか、という疑問が残る。

中沢厚は「山梨の道祖神」「甲州の道祖神」で、丸石は石器時代の中部山岳地人が、特殊な文化として持つに至った信仰ではないかと述べている。

「中部・関東を中心に、石器時代の縄文中期以来の石棒をシンボルとする信仰があり、その文化が発生する以前、すでにこの地方人のある集団は丸石信仰を持っていたであろう」

上記のように彼は推論している。だが彼は自身で、遠隔地でも丸石がまま発見される事をあげ、狭い地域だけでは割り切れない現実面もあると、問題を突く。

結局、この謎も謎のままだ。諸説を述べるものの、誰も決定打を出していない。

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