丸石神紀行

十三年前の地図を頼りに丸石神を求め、山梨県を徒歩で旅したさまよいの旅行記。

  1. 序文:
  2. 丸石神誕生:
  3. 丸石神信仰:
  4. 丸石神分布:
  5. 終文:

1.序文 - 2

 塩山は温泉で有名な市である。甘草屋敷や名観大菩薩峠など、名所もそれなりにあるようだ。見たいところはいくらでもあるのに、どこにも寄っている暇はない。何が悲しいのか、今日はひたすら歩く為だけに来たのだ。ただ一つ、丸石神を目指して。

 だが塩山は観光地だ。賑わう駅前で、名物や土産物を見過ごせと言う方が無理である。うっかり寄ってしまっても、それは私のせいではない。観光気分でわくわくしながら駅を出て、私は絶句した。

 無人だ。目を凝らしても、人や車が見当たらない。正午のバスターミナルには、ひしめく土産も浮かれた観光客もいない。

 「騙された!」と思った。しまった、さっきぶどう峡で降りておくべきだった。目的が蚊帳の外で叫ぶが、浮かれて観光したかった私の耳には念仏だ。確かに目差すは丸石神、土産や観光は無関係である。賑わいこそないが、しっとりした雰囲気の駅前には、旅情が漂っている。しかし観光体勢に入っていた私は、「土産…」と呟きながら、情けない顔で古地図を取り出すしかなかった。

 十三年前の地図と比べて、さすがに整理された道が増えている。地図を鵜呑にしたら、とんでもない事になりそうだ。聞こうと思っても人がいないから無理なのだが、できれば道は聞きたくなかった。「丸石の道祖神ありますか」と聞く事は、「この辺にお地蔵さんありますか」と言うのと変わりない。地蔵を探しているんです、どんな小さな地蔵でもいいんです、とにかく地蔵を探しているんです、なんて切羽詰まって詰め寄る女は、はた目に見ようが見まいが気持ち悪い。道祖神に男女のちちくりあっている姿が多い事を思うと、痴女に見えない事もない。

痴女

 何より道祖神なんてありふれたものを、人々がいちいち認識しているのか疑わしい。うら若い乙女が痴女ぶるだけ痴女ぶり、誰も何も答えてくれなかったら悲惨だ。それだけでも十分だが、更に不安はつきまとう。丸石神がありふれた道祖神ではなく、最早廃れた伝統になっていたら。元ある区画から駆逐され、存在を消していたら。旅先で痴女のレッテルを貼られ、二十歳の冬は終わる。

 私は眉根を寄せたまま歩き続けた。あんな呪いのMDを作ったお陰で後ろ向きだ。心霊番組を見ながら編集したので、本当に呪われている気がする。むしろ神に手を出す時点で、この旅は呪われているんじゃないか。心霊写真が撮れたらどうしよう。写真技術が念写レベルの為、心霊写真と見分けがつなかったら、もっとどうしよう。お祓いの心配まで始める無駄な不安に急かされ、私は無人の大通りを歩いた。

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