丸石神紀行

十三年前の地図を頼りに丸石神を求め、山梨県を徒歩で旅したさまよいの旅行記。

  1. 序文:
  2. 丸石神誕生:
  3. 丸石神信仰:
  4. 丸石神分布:
  5. 終文:

2.丸石神誕生 - 2

 滑り出しは好調であった。駅を十分も行かない内に二体の丸石神を見つけ、気分も絶好調だった。多少道路が増えたり減ったりしているものの、古地図は頼りにしても良いようだ。この地図の丸印には、廃れも駆逐されもせず、今なお丸石神が祀られているのだ。当面の不安が解消した私は、三つ目の丸石を探して上機嫌で横道に逸れた。

 大通りを少し離れると、そこは温泉郷の名に相応しい安らぎの町だった。東京では滅多に見かけないような旧家が、小さな公園程もある庭を、遮る塀もなく所有している。そういう旧家が連なるのもだから、圧迫感が全くない。庭先には枝を振るって柿がなり、真っ赤に輝いている。厳寒の空に熟れた柿が栄える、私が大好きな冬の風物詩だ。加えてそこここで花梨が実って、黄色く鮮やかな彩りを添えている。

 晴れ上がった空に届く山々を見上げていると、飛行機雲が遮る影もなく、一直線に突き抜けていた。胸のすくような風景だ。山染梨の空気は冴え渡り、気持ちもどんどん澄んで行く。畑の脇に、地蔵がたたずんでいた。並んだニ個の蜜柑を前に、柔和で慈悲深い笑みを浮かべている。私は思わず微笑えみ返していた。

魂の解放

 ところで、肝心の丸石神は何処にあるのだろう。さっきから同じような所をぐるぐる回っている気がする。

 晴れやかな笑顔のまま悟った――迷った。そういえば私は方向音痴だった。地図は十三年前のものだ。その上景色の美しさに、地図を見るのがどうでもよくなっていた。これはもう、迷わない方が有り得ない。塩山の雰囲気に流され、かつてなく大らかになっていた私は、「ドンマイ、ドンマイ」と手をふった。何もドンマイではないのだが、山梨の空気に染まってしまった体は、鼻歌混じりにどんどん違った方向へ進んでいく。素晴しい景色が沢山見れればいいじゃない、なんて、旅の方向性まで違ってきている。

 ついに周囲から人家は消え、畑ばかりになった。なんて解放的なんだろう、これが自由か。ナチュラルハイに陥った私は、たまたま通りがかった神社にふらりと入って行った。

 垣根の代わりに木立で覆われ、境内は薄暗かった。幹を縫って垣間見える空は晴天なのに、この場所にはぽつぽつと木漏れ日が落ちるだけだ。まるで異界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

 境内の裏に石碑があったものの、お目当ての丸石神は見当たらなかった。深閑とした社の前を、足音を殺してすり抜ける。木陰の温度差で冷えた頭を巡らせると、すぐ横の苔むした台座にようやく目が行った。奇妙な石が乗っている。まじまじと眺め、丸石に見えない事もないと呟いた瞬間、はっとした。

 大きな石に小さな石がめり込んでいる。まるで小さな石がそこから出てくるような、そして大きな石が小さな石を孕んでいるような、そんな光景だ。

 ぽかんと口を開け、目が放せなかった。各地の伝説では、石が子供を生む。子供を生んで増えるのだ。それは、丸石も同じではないのか。私はしばらくその場に立ち尽くしていた。

←前へ 次へ→ ↑上へ