丸石神紀行

十三年前の地図を頼りに丸石神を求め、山梨県を徒歩で旅したさまよいの旅行記。

  1. 序文:
  2. 丸石神誕生:
  3. 丸石神信仰:
  4. 丸石神分布:
  5. 終文:

3.丸石神信仰 - 4

 話を元に戻して、「石信仰」である。大護八郎は魂と玉の関係を踏まえ、真珠書院発行「道祖神」にて、魂宿る石の最もたるものとして、玉形の石が尊ばれたと説く。木耳社発行「石神信仰」でも、「雑多な形の石よりも見た目に立派であるという嗜好の問題でなく、その根本には玉と魂との関係があるように思われる」との見解を述べている。

 一見理に適っている話なのだが、丸石研究の大御所として知られる中沢厚は、魂と玉の「石信仰」をとなえた柳田国男と折口信夫が、丸石に全く触れていない事を指摘する。また、玉石は神前に備える神への捧げものであり、丸石は神体である。そして玉は古代から勾玉、管玉の類いで高貴な物として尊ばれ、路傍の丸石とは一線を画するものだと主張し、名著「丸石神」の中で「丸石の概念の上で魂ごもる石だと解釈するのは自由ですが、丸石神の丸石がタマまたはギョクど同一視されるいわれはありません。それは、庶民信仰の現実とも、丸石を神に祀った原始の人々の感性にもそぐわないのです」「庶民信仰には高尚過ぎて不似合い」だと記述している。

 確かに、一般市民がそんな小難しい事を考えて暮らしているとは思えない。道祖神が性の神であるくらいなのだ。丸石だけ魂の観点から説かれても、腑に落ちない気はする。では一体、何が正しいのか。丸石信仰は何故、この世に存在するのか。

 結局、この謎も謎のままだ。諸説を述べるものの、誰も決定打を出していない。丸石について、分かっている事の方が極端少ない。前途多難な研究なのである。

 しかしその謎が明かされた時、丸石は今までの丸石でいられるだろうか。山梨の路端に無数にたたずみ、馴染み切っているくせに、何一つ明かさない。不思議を秘めたままの丸石を、私は面白いと思うのだ。

 もう暫く謎のままでいて欲しい、そう思いながら、私は先を急いだ。

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