丸石神紀行

十三年前の地図を頼りに丸石神を求め、山梨県を徒歩で旅したさまよいの旅行記。

  1. 序文:
  2. 丸石神誕生:
  3. 丸石神信仰:
  4. 丸石神分布:
  5. 終文:

4.丸石神分布 - 2

 丸石神は、山梨を除くと、東京都の山梨に隣接する山村、神奈川県津久井郡の一部、静岡県伊豆地方、長野県の一部にわずかに散布しているだけだ。山梨以外の他地域では、ほとんど見られない。丸石道祖神の数は、山梨だけで何と七百ケ所にも上る。屋敷神や山神・稲荷など、道祖神以外にも丸石が祀られている徹底ぶりだ。そもそも温泉が多いし、ぶどうも多くて羨ましいよ山梨、などと余計な事まで言及したくなるのも無理はない。

 しかしよく目を凝らすと、八王子や上田市国分寺後で小さい丸石が発掘されていたり、秋田大湯環状列石遺跡の中心部に安置されていたりなどと結構例は上げられている。かつ、平安時代の絵巻物「信貴山縁起絵巻」三巻目には、路傍に丸石を祀った祠が描かれている。だがこの絵巻は、信濃から大和への今で言う紀行文に当たる。大和へ続く旅路の話であり、丸石の示された土地が大和地至らないのだ。ともあれ、丸石を祀る風習が平安にもあったという、確実な証拠にはなる。

 これらの巻き物や出土品を見る限り、今でこそ廃れてはいるものの、丸石が各地各年代に分布していたのは間違いない。問題は、分布がなぜ後に、山梨や長野の一部地域にまで縮小されてしまったのかである。
 最も一般的な解説としては、国家神道や国家仏教などの権力から邪祠邪教と見なされ、多くの民俗神とともに丸石神も排除されたというのが通説だ。

 面白いのは、丸石研究によく通じる中沢厚の解釈である。彼は「山梨の道祖神」「甲州の道祖神」で、丸石は石器時代の中部山岳地人が、特殊な文化として持つに至った信仰ではないかと述べている。

 「中部・関東を中心に、石器時代の縄文中期以来の石棒をシンボルとする信仰があり、その文化が発生する以前、すでにこの地方人のある集団は丸石信仰を持っていたであろう」と彼は推論している。だが彼は自身で、遠隔地でも丸石がまま発見される事をあげ、狭い地域だけでは割り切れない現実面もあると、問題を突く。

 ただ、分布が山梨のみであろうと全国であろうと、丸石分散の謎や信仰の消滅理由など、考えるべき事は山積みだ。遺跡から現れる事で考古学上の問題にもなり、ますます混迷を極める丸石調査である。人間はしばらく、丸石に振り回されそうだ。

 丸石は当分謎のままだな、と私はほくそ笑んだ。生きているうちに知りもしたいが、訳の分からない丸石の面白みは、そのままにしていたい。これ程疑問を掻き立てるただの丸い石が、他にあるだろうか。

 そこらじゅうに居座る丸石に見送られ苦笑を漏らす私の目に、ようやく街の明かりが映った。

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